東京オリンピック中止騒動から考える 
 ~変わらぬ日本人の特質~

目次

五輪中止の賠償金については、考えたことがない

コロナ第四波によってニュースやネットを騒がしている、『五輪中止と賠償金』について。

大会組織委員会の武藤事務総長が行った記者会見での回答は、印象的でした。

新型コロナウイルスの感染拡大で開催への懐疑論が広がる今夏の東京オリンピック(五輪)・パラリンピックが中止になった場合、国際オリンピック委員会(IOC)から賠償金などを求められるかについて、大会組織委員会の武藤敏郎事務総長は「最近、そういうご質問が増えているが、考えたことはない。あるのかどうかも、見当がつかない」と述べた。

朝日新聞デジタル(2021年5月14日)

 

日本がIOCと締結した契約内容は?

東京都やJOC(日本オリンピック委員会)がIOCとどのような取り決めで、東京オリンピックを推進しているのか気になりました。

ネットで検索してみたところ、東京都オリンピック・パラリンピック準備局のホームページで開催都市契約が公開されていました。

https://www.2020games.metro.tokyo.lg.jp/taikaijyunbi/taikai/hcc/index.html

東京都がIOCと交渉し、2015年に秘密保持条項を改訂して公開したようです。

契約書を読んでみると、とても私にはサインする勇気が出ない内容だと感じました。
(私が署名する立場になることは、間違ってもないのですが、、、)

特に気になったのは、『66条. 契約解除』に書かれている損害賠償責任です。

理由の如何を問わずIOC による本大会の中止またはIOCによる本契約の解除が生じた場合、開催都市、NOCおよびOCOGは、ここにいかなる形態の補償、損害 賠償またはその他の賠償またはいかなる種類の救済に対する請求および権利を放棄し、また、ここに、当該中止または解除に関するいかなる第三者からの請求、訴訟、または判断からIOC被賠償者を補償し、無害に保つものとする。OCOGが契約を締結している全ての相手方に本条の内容を通知するのはOCOGの責任である。

開催都市契約2020(日本語訳)

 

契約書には書かれているが、想定はしていない!?

契約内容を読むと、責任の有無に関わらず全ての損害賠償責任は東京都とJOC(NOC)が負うという規定になっています。

損害賠償に備えて相応の保険にも加入しているとのことですが、2020年に再延期になった後は、充分な保険内容にはなっていないという回答も記事に出ていました。

 

  • 契約書には損害賠償に関する規定が定義されている
  • それに備えた保険についても、検討したことがある
  • ただし、東京五輪を中止した場合に損害賠償を言い出す人がいるのかは予想がつかない

というのが、今の検討状況の様です。

 

自分たちに不都合なことは起きないという思考

この状況を見ていて、戦前の日本軍を思い出しました。

ベストセラーの『失敗の本質』、半藤一利さんの『昭和史』などでも取り上げられてきた、日本が戦争に突き進み、止めることもできなかった原因です。

半藤さんがわかりやすく書かれていたので、引用します。

最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしないということです。自分にとって望ましい目標をまず設定し、実に上手な作文で壮大な空中楼閣を描くのが得意なんですね。物事は自分の希望するように動くと考えるのです

昭和史1926-1945 半藤一利

 

  • 日独伊三国同盟を結べばアメリカは牽制され、参戦してこない
  • ソ連が満州に攻めてくることはない
  • ドイツがヨーロッパで負けることはない 等

根拠のない楽観主義に陥り精神論で突き進むのは、悪い状況に見られる日本の傾向です。

 

失敗の本質は何か?

『失敗に共通することは、①楽観主義、②縦割り、③兵力(資源)の逐次投入』だと、小池都知事も言われています。

希望的観測ではなく、起こる可能性がある事象を直視し、危機に対応することが大切です。

マスコミやネットが作り出す空気に惑わされず一人一人が考えることが、我々がとるべき行動なのでしょう。

 

また今の対応状況を批判するだけでは、問題解決にはつながりません。

これまでの常識では対応できない状況において、我々が取るべき姿勢のヒントが『失敗の本質』に述べられています。

いまやフォローすべき先行目標がなくなり、自らの手で秩序を形成しゲームのルールを作り上げて行かなければならなくなってきた。
グランド・デザインや概念は他から与えられるものはなく、自らが作り上げていくものなのである。(途中省略)
企業をはじめわが国のあらゆる領域の組織は、主体的に独自の概念を構想し、フロンティアに挑戦し、新たな時代を切り開くことができるかということ、すなわち自己革新組織としての能力を問われている。

失敗の本質

 

過去の成功体験から抜け出す

我々が目指すべき『自己革新組織』については、以下のように述べられています。

自己革新組織の本質は、自己と世界に関する新たな枠組みを作り出すこと、すなわち概念の創造にある。しかしながら、既成の秩序を自ら解体したり既存の枠組みを組み換えたりして、新たな概念を作り出すことは、われわれの最も苦手とするところであった。(途中省略)
誤りを的確に認識できず、責任の所在が不明なままに、フィードバックと反省による知の積み上げができないのである。その結果、自己否定的学習、すなわちもはや無用もしくは有害となってしまった知識の棄却ができなくなる。

失敗の本質

 

これまでの常識が役に立たないばかりか、足を引っ張っている状況が散見されます。

自ら責任を取る覚悟で判断し、その結果を素早く振り返り軌道修正する。

もはや過去の成功体験の延長に、成功は約束されていません。

 

楽観と悲観を使い分ける正しさを

危機管理は大切ですが、それ自体が目的ではありません。

目的となる目指す姿(グランドデザイン、概念)を描くことは、とてもわくわくします。

楽観的に目指す姿を議論し、悲観的な危機管理を行い実現に向けて推進する。

楽観と悲観が逆になりがちなのが、我々の特質なのかもしれません。