日本の特徴を考える② 
~中空均衡型(相互調和型)の社会~

日本のトップに集まる批判『リーダーシップの欠如』

新型コロナウイルスへの対応や、ウクライナとロシアの対立で懸念が高まっている外交安全保障への対応などで、日本のトップである総理大臣に対して批判が集まっています。また業績低迷や不祥事などで迷走する大企業のトップに対しても、株主や社会からの批判が集まり続けています。

その批判の多くは欧米の大統領や首相、欧米企業の経営者と比較して、リーダーシップが低い。判断するスピードが遅い。判断が曖昧、説明がわからない・不足しているなどが挙がっています。

メディアのコメンテーターやネットの批判コメントを見ていると、確かに的を射ている点も少なくないと思います。ただ日本国のトップである総理大臣を選んでいるのは、間接的にではありますが我々国民です。また日本企業においても、日本社会の特徴がトップ選出に大きく影響していると感じています。

今回も『日本の特徴を考える① ~父性原理と母性原理~』で取り上げた河合隼雄氏と、歴史学者の石井米雄氏の対談・講演内容をまとめた『日本人とグローバリゼーション』を引用しながら、リーダーシップを欠くトップを選出してしまう日本社会の特徴について考えます。

 

中心が不在でも調和が保たれる日本

河合氏は欧米での留学や研究の後日本に帰国し、欧米で学んできたことが日本人の患者に対して当てはまらないという状況に陥ったそうです。そこで日本人と欧米人の考え方や意識構造の違いに興味を持ち、古代神話や宗教など様々な視点から分析して興味深い考え方を発見しました。

日本では本来一番大切である中心をあえて空白(または形だけの代表を置く)にしても、周りが相互に察して調整することにより社会が成り立つ『中空均衡型』だという考えを主張されています。この考え方は古代神話(古事記など)にも見られる構造で、古くから日本社会や日本人の考え方に影響を与えてきているのだと思います。

一方キリスト教などに代表される一神教の欧米社会では、中心に唯一絶対の神が存在し、絶対的な権力(パワー)と原理原則をもって全体を統合して率いていく『中心統合型』の社会だと定義されています。

欧米では国や組織のトップに絶対的な権力が与えられ、絶対的な価値観や原理に基づき周りを率いていくことで社会が成り立っています。日本人が憧れているリーダーシップを持つ人物がトップになることは当然ですし、社会としてリーダーに率いられることを求めています。アメリカの大統領選に対する国民の盛り上がりを見ていても、日本との違いを感じる人が多いのではないでしょうか。

トップに対する信頼や期待も高まらず、また絶対的な権力(パワー)も与えられない中で、欧米のようなリーダーシップだけを表面的に求められても、なかなか酷なようにも感じてしまいます。それでは日本も、リーダーシップが高い人材がトップに選ばれる『中心統合型』の社会に変わることで幸せになれるのでしょうか。

 

中空均衡型(相互調和型)社会の特徴

河合氏は書籍のなかで、日本は中空均衡型であったからこそアジアでいち早く近代化を成し遂げ、物質的な豊かさを実現できたと述べています。それは異文化や異なる考えに対する対応の違いに起因するのです。

欧米の中心統合型社会では、中心に唯一絶対の価値観や考え方が存在しています。そのため、その考えに対立したり矛盾するものは徹底的に排除される傾向があります。ロシアとヨーロッパ諸国との対立を見ていても、お互いが信じる絶対的な正義を拠り所に対立が生まれており、落としどころが見えない状況にまで対立が深まっています。

一方日本の中空均衡型社会では、中心に唯一絶対の価値観や考え方は存在しないため、柔軟に異なる考えや価値観を取り入れます。仏教は浸透していますし、キリスト教を信仰していなくても学校はキリスト教系だった人も少なくないのではないでしょうか。

グローバル化が進み全く異なる考え方や価値観を持つ人たちと相互依存の関係が強まるなか、自分の考えに固執せず柔軟に考えバランスをとることが出来る日本人の特徴が求められる社会になってきているのではないでしょうか。

 

我々が気を付けなくてはいけないこと

我々日本人が今のまま世界でバランスをとりながら調和を築けるかというと、難しいと思います。もともとバランスが取れていた日本国内においても、調和とは程遠い状況になっていると感じます。その原因の一つは、柔軟に異なる考えを取り入れる姿勢にあります。

日本人は外部から新しい考えを取り入れる際に、表面的なことだけを自分たちの都合のいいように取り入れる傾向が強いと、河合氏は言われています。

日本は、なんでも取り入れると言うけれど、上手にか、下手にかわかりませんが、とにかく骨抜きにして、切り捨てて、どんどん日本化ということをします。(中略)
日本人がいわば上澄みだけをすくってきたというのは、具体的には、西洋近代科学およびテクノロジーを生み出した基礎にあるキリスト教というものをまったく無視してやってきたということです。(中略)ヒューマニズムとか個人主義と言うものを抜きにして、テクノロジーだけを取り入れようとしてきた。

日本人とグローバリゼーション(河合隼雄、石井米雄)

 

分かりやすい例として本来厳しい戒律が求められる仏教が、日本では世襲制でお坊さんになれることに対してタイのお坊さんたちが驚いているという話も出てきました。確かに本来男女の関係にはすごく厳格なところがあるのに、僧侶が婿養子としてお坊さんになれるのは不思議な状況ですね。

そして表面的に取り入れた個人主義が誤った形で広まり、これまで全体を察しながらバランスをとってきた人々が自分勝手になり、様々な社会問題としてあらわれているのではないでしょうか。

また日本人に対しても、海外の人に対しても、他人と本当に対話をしようとすると、自分の考えを持つことが大前提になります。中心となる価値観や考えがないと、多様な考えで混乱する現代では調和に向けてバランスをとることが出来なくなっているのです。相手の話をよく聞き相手の意図に沿う形で自分の考えを形成するのではなく、自分の考えと相手の考えの違いを理解し、共に目指す目的に向けてどのようにしていくのが良いか共同で考え出す。

そのためには相手のことを察する(センスする)ことや、それを活かしてバランス(調和)させることに加え、自分自身の中心を形成していくことが今の教育には求められていると思います。これは子供に限らず、我々大人にも必要な事ではないでしょうか。

このブログサイトを通して自分自身の中心を形成するために迷子になりながら、色々なテーマで考えてみるのは如何でしょうか。