バーチャルは価値観を狂わせる!? 
~価値観を育て、人間の意義を再構築~

新型コロナウイルスの影響により、大企業を中心にリモートワークが一気に広がりました。
またFacebookやInstagramを運営する会社が、仮想空間サービスであるメタバース事業への本格投資に伴い社名を『Meta(メタ)』に変更したことがニュースになりました。

ウェブ会議システムや仮想空間を実現する技術/ツールの発展により、我々の生活におけるバーチャルの影響が大きくなっています。
バーチャルは我々の生活利便性を向上させただけでなく、生活スタイルの選択肢を広げてくれました。
一方でバーチャルに偏重しリアルがないがしろにされると、大切なものが失われていくのではという懸念も感じています。

今回はバーチャルやデジタルによる、価値観への影響を考えます。

 

目次

人との交流におけるリアルとバーチャルの違い

皆さんはZoomやLineなどを使ったウェブ上での対話は、得意ですか?
クライアントとの会議もウェブ中心になり、私は慣れてきたもののいまだ苦手意識があります。

お互いを理解している人たちであればいいのですが、新しい人とウェブ中心で話を進めるのは難易度が上がります。
相手の表情は見えるのですが、それでも対話の切り返しや間の取り方など独特の難しさを感じます。
特にどこまで踏み込んで話をするかは雑談のなかで相手を観察しながら判断するのですが、ウェブだと雑談の時間も取り辛いです。

私と同じようにウェブ中心による交流の問題を感じている人が多いからか、在宅勤務のあり方を見直す企業が増えているというニュースもありました。

ウィズコロナ、アフターコロナの中でテレワークの運用を「さらに拡大する」という回答は20社(36%)だったが「縮小する」も14社(25%)あった。最も多かったのは「分からない」(22社、39%)で、テレワーク運用の難しさが表れている。
定着への課題では「社員間のコミュニケーション不足や職場内訓練(OJT)のやりづらさ」(ミズノ)といった声が上がった。

テレワーク「縮小」25% 「会話不足」「アイデア生まれぬ」 日本経済新聞 2021年11月9日

 

ウェブ中心で交流していた人たちと、久しぶりに対面で交流をすると新しい発見がありました。
ウェブでは話せなかった雑談のなかから新しいアイデアが生まれたり、同じ時間と場所を共有しているという意識により関係性も強まります。

福岡伸一先生の動的平衡の説明に出てくる「全ての生物の細胞は常に入れ替わっており、半年前の自分と今の自分は細胞レベルでは全く異なる」という細胞レベルでの変化は、どれだけバーチャル技術が進歩しても実際に会わないと感じられないでしょう。
動的平衡については、ブログ『哲学がポストコロナの羅針盤~サンデル教授と福岡教授の対談から~』も参照ください。

 

人間関係がバーチャル化することにより失われるもの

コロナ禍でこれまでの生活で行われていた人との交流がバーチャルに置き換わることにより、私自身他人や社会という感覚が鈍くなっているような気がしています。
パソコンやスマフォの画面には相手が映っているのですが、ウェブでの対話が慣れてくると画面上の相手に対する現実感が薄れていくのです。

人が幸せを実現していくためには、社会のなかで自分(個人)と相手(公共)のバランスを調和していくことが大切です。
食料とネット環境が整っているとしても、無人島で生活することを考えると孤独感が浮かんできます。
他者と関わり合う中で、自分の理想や理念を実現していくことが幸せなのだと思います。

コロナ禍により学校生活までオンライン化が強制された結果、自己と他者の衝突を体験しながら『個と公共のバランス』を身に着ける経験が欠落してしまうことは大きな懸念でしょう。
特に大学時代というのは専門知識を学ぶことに加え、ゼミやサークル、アルバイトなど様々な環境において他者と関わり合いながら自分を見つめ、他者と自分のバランスに対する価値観(倫理観)を形成していく機会だと思っています。

コロナ感染状況を見ながら機会を補う支援を考えていかないと、将来更に殺伐とした社会になりかねないでしょう。

 

デジタルによる自然観への影響

バーチャルを中心としたデジタル技術の影響は、他者との交流だけでなく自然に対する感覚にも影響を与えているように感じます。

私が子供の頃には近くの川や田んぼに出かけてはザリガニやメダカ、カブトエビなどを捕まえて楽しんでいました。
また草原でバッタやカマキリ、セミなどを捕まえて、数日飼って観察した後に逃がしていました。

最近は図鑑もデジタル化が進み、本物を観察するよりも詳細な生き物の特徴を知ることが出来ます。
NHKの特設サイトではカマキリやハチ、トンボなどの昆虫がリアルに観察できる、『ものすごい図鑑』が公開されています。

一方で自分の子供を見ていると、デジタルだけに触れていると『生きもの』という意味を正しく理解できないのではないかと感じています。
デジタルは特徴をわかりやすく拡大して見せてくれるので、知識を身に着けるには便利なのですが、そこには生き物との対話/交流は生まれないのです。

虫を捕まえてほったらかしにしてしまい、死なせてしまった経験をした人も多いでしょう。
カマキリなど生きたエサしか食べない場合、飼育のために別の生き物を与えることにより生きられるということを経験し、他者の命の犠牲の上に生きているということを感じる機会にもなるでしょう。

またセミやチョウが幼虫から羽化して成虫になる過程を見ていると、自然の偉大さや神秘さを感じられるでしょう。

我々人間は自然のなかでの経験(自然とのリアルな対話)を通して、自然のなかで自分たち人間が活かされているという感覚を身につけてきたのではないでしょうか。

 

今求められるバランス感覚

もともと日本人は自然と自己が一体になることが美であると捉え、共存の対象であるとともに崇める対象でもありました。
それが明治以降西欧から科学技術を取り入れ、自然をコントロールするという姿勢に変わってきました。
日本と西欧の自然観の違いについては、『日本のグリーン社会実現に必要なもの~天心が伝えたかったこと~』で紹介しています。

そんな行き過ぎた人間中心的な活動を続けた結果が、現在の破壊された地球の状態なのでしょう。
その反省から環境に考慮した経済活動への是正が、SDGsが採択された背景の一つとしてあります。

また行き過ぎた(誤解された)個人主義の結果が、殺伐とした自己責任(自己完結)の社会ともいえるのではないでしょうか。

この流れを変えていくにはバーチャルやデジタルという技術(文明)を正しく活用できる、個人の価値観が益々重要になってきます。

リアルとバーチャルの違いを意識しつつバランスをとりながら、倫理観や自然観について考えてみませんか。
AIやデジタル技術が発達しても、それらを活用する人間の意義は『価値観を持っていること』に変わりはないのです。