コロナストレスの根本原因を考えた
 ~主体的に生きる~

今年はセミが鳴きだすのが遅かった。
梅雨明けの時期が遅かったせいか? 車のカバーで一生を終えるセミ。

コロナ鬱やコロナ疲れ更には日本独自のストレスといったことが、マスメディアで議論されているようです。


働き方によるストレス

会社と家庭の境界線がなくなった。そういったライフスタイルに慣れていない多くの日本人に新たな問題が生じるのは想像に難くないのです。一日中パソコンの前で作業を強いられていると感じる人も多いだろうし、リモートワークでは会社でやっているように同僚とのやり取りがうまくいかないことも多くなるから些細なことでイライラしてしまう。仕事の遅れや不備をきたし精神的負荷をかえって強くしているのかも知れません。中小企業の経営や自営業、特に外食産業に携わる人は壊滅的な収入の減少を経験し途方に暮れている。ibgも同じような立場なので想像がつきます。

自らの選択で生きる

人は具体的な状況がなければ目的は具体化されないものです。二者択一の時に厳しそうなほうを選択し自分を追い込むというのもあります(私のことですが、、、)。戦争じゃなくても今のように世界的なパンデミックの状況は、人々に具体的に生き方や死に方を迫ってきます。自らの選択で主体的かつ具体的に生きる術を見つけ出さない限り、試練は乗り越えられません。

日本独自の自粛警察

自粛警察と言われるものも日本独自のストレスの結果でしょう。自分は自粛「要請」に自主的に従っているので、そうでない人に対して憤っている。日本社会の傾向(状況)は「大変だったね、、」じゃなくて「自業自得でしょう!」だと思います。それは日本独特の peer pressure というもので、それがために日本の重症者数・死者数が比較的少ないのかもしれません(皆がマスクをするとか)。日本はみんな一緒、つまり同質性を分かち合っていると考える(平等性重視)。だとすると、日本は真の民主主義かも知れません。一方アメリカは、個人は異質性を持っていると考える自由主義です。だからアメリカでは自粛警察なんて現象は起こらない。

根本的な問題

日本独自のストレスは、日本人が敗戦後70年以上もの間、自ら選択する自由と責任を放棄し、他者に自らの運命を委ね続けてきたことが根本の原因ではないでしょうか。これを機会に議論してみてはいかがでしょう?

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