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自分が理解できないことを否定する人
共に学び合う文化作りを目的として、社内講演会を定期的に行っている企業があります。
講演会の企画・運営をしている人と雑談をしていた時に、最近の悩みを教えてくれました。
「自分が聞いてわからなかったから」という理由で、講演内容を否定する社員が増えているそうです。
もちろん聴講者のレベルに合わせて、わかりやすく説明するのは講演者の役割です。
ただ今回の講演内容を理解できなければ、まず聴講者自身の業務知識レベルに問題意識を持つべきだと感じたそうです。
理解できなかったことを自分で調べるという行動には繋がらず、講演を否定して終わってしまう対応に危機感を持たれたのでしょう。
アニメ業界にも思考停止の波が
この問題意識に関連して、興味深い話も教えてくれました。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』庵野秀明スペシャル(NHK)で聞いたインタビューが、自分の抱えていた危機感と繋がったそうです。
庵野秀明氏とは『新世紀エヴァンゲリオン』などを代表作に持つ、アニメーター・映画監督ですね。
庵野氏が番組の取材を受けた理由が、印象的だったそうだ。
謎に包まれたままだと置いてかれちゃう。面白いですよっていうのをある程度出さないと、うまくいかないんだろうなっていう時代かなって。謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる。
プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明スペシャル
『分かり辛いもの』は敬遠されるという現代社会に対する見方が、社員の反応と重なって見えたのでしょう。
デジタル化により、思考停止コンテンツが大量発生!?
娯楽目的で何を選ぶかは、個人の自由です。
仕事や勉強で頭を酷使している人は、たまには頭を休めてリラックスしたい時だってあるでしょう。
ただ最近気になるのは、アニメに限らずメディアなどでも、短く簡単な記事が中心になってきていることです。
メディアのデジタル化が進むなかで、閲覧数を伸ばす記事が求められている。
読者に考える機会を与える記事は、一度読んだだけでは理解し辛く敬遠される。
目立つタイトルを付けて、3分以内に読み終えられるかがポイント。
30年以上記者をやってきた自分としては悲しいが、ビジネスとして成り立たないとメディアを継続できないので、社会の波には抗えない・・・
と、話されていた知り合いの記者を思い出しました。
東洋美術の価値は、心の動きを喚起すること
西洋と東洋の芸術を比較し、不完全性(余白や非対称性)を意識する東洋文化の意義を説いたのは、岡倉天心でした。
真の美というものは、不完全なものを前にして、それを心の中で完全なものに仕上げようとする精神の動きにこそ見出されるというのである。対称なものは心の動きを固定してしまう。そこであえてそれを排して非対称にし、常に心の動きを喚起することが、東洋の美術、ひいては茶室建築において、大変重要なのだ(省略)
芸術の真の意義とは、作品を媒介にして芸術家と鑑賞者が共感し、コミュニケーションをとることなのです。そのためには、双方が謙虚に相手を思いやることが重要だと言います。
NHK100分de名著ブックス 『岡倉天心 茶の本』(大久保喬樹)
『分かりやすいもの』に潜む危険性
デジタル化したメディア業界では、如何に消費者の時間を自分たちのメディアに使わせるかの競争です。
YouTubeやSNSは我々一人一人の好みを押さえており、嗜好に合った記事や映像を次々に提供します。
これらの情報は無料ですが、実はお金以上に大切な時間(主体的に考える機会)を奪っているのです。
分かりやすいコンテンツは、『心』だけでなく『頭』の動きさえも固定してしまうのです。
自分が理解できない内容と出会うと、自ら調べたり、考えたりするきっかけになります。
『今の自分がすぐに理解できるか』だけで情報を取捨選択する排他的な効率主義に陥らず、主体的に頭と心を動かし楽しめる余裕と無駄が、益々大切になると思います。