異文化理解を進めるには・・・
 ~TVドラマ 『愛してくれと言ってくれ』から~

今年の百日紅は黄色い葉が混じっていてあまり美しくはありません

コロナ禍で様々な問題が明らかになって来ています。ほとんどが国家や組織や個人の一番弱いところを攻撃されているかのようです。問題の範囲も重要ですが、一つ一つの問題をどこまで掘り下げて考える事ができるか、そして問題解決へ実際の行動に移すことができるかどうか、これらの事がこれからの日本の将来を決めるのではなかろうかと思います。


話はずっと身近になります。


1995年のテレビドラマ『愛していると言ってくれ』が再放送され話題になったようです。全部録画して一気に観ました。日本のドラマは殆ど見ることはなかったので、私は相当有名なドラマも知りません。そもそも日本のテレビや新聞から距離をおく人生を送ってきました。そのことが、牢屋にも入らずに還暦を過ぎるまで来られた大きな要因だと自負しているくらいですから。ところが、ここ数か月に80年代90年代2000年代の主要な日本のドラマを興味深く鑑賞しました。『愛していると言ってくれ』は障碍者の画家と女優の卵の井の頭公園を舞台にしたラブストーリーです。主題歌はドリカムの『Love Love Love』、今回はじめてこの曲がこのドラマのための曲だと知りました。J-POPが流行った理由もわかりました。映像と音楽が実によくマッチしている。


コロナ禍のタイミングでこのドラマの再放送は何か意図があったのでしょうか?少し私の思ったことをお伝えします(遺言の一環として)。 25年前はニューヨークに住んでいました。アメリカ企業に勤めていたこともあり、考えや行動はアメリカ企業のルールに従っていました。四半世紀で私も世の中も劇的な変化を遂げたと思います。進化したり恐ろしく退化したり。一般的に言うとコミュニケーションに関しても進化というよりも退化した部分が多いかもしれません。それがこの再放送が今の日本人に好評を得た理由かとも思いました(そうだといいのですが、、、)。


『愛している。。。』は、健常者と障碍者や男と女という『異文化理解の問題』です。これはポストコロナの世界で重要となる項目の一つに間違いありません。敗戦後の日本はアイデンティティが喪失していると言われています。盲目的なアメリカ追従の当然の帰結ですね。アイデンティティは本来は他者との関係の中で、自分が他者の関心(関係)の対象となることで「他者の他者」として現れるものです。「互いに補完しないと成り立たない」と言うことです。ところが、日本人はこのことが実に苦手なわけです。日本の義務教育では教えない。それは、日本の学校教育が教育ではなく受験という点数序列主義だからです。


異文化理解の問題


この夏休み、受験勉強の遅れの取り戻しよりも、以下のような問題を子供たちと議論してもらいたいものです。人は14~16歳で考えたことから一生逃れられないものだからです。

  • 異なるものとは何か(異なる言語、異なる民族、異なる文化、異なる世代、異なる身体、、)
  • 思いやり社会の問題点(パターナリズム、同情、憐み、、)
  • アイデンティティの問題
  • 自尊心を育まない日本の教育
  • 歴史を理解するとは?(過去とのコミュニケーション、主観と客観のバランス)
  • 女性の社会進出の問題(男女共同参画)

等々


ポストコロナの世界では、対話と協調による共同主観の構築がますます重要になってくると思いますが、今の日本には二極化や絶対化に進む危険性は大いにあるのだろうと思います。

若い先生たちに反旗を翻してもらいたい。

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