「社員に考えてほしい」のに、会社が考えすぎていないか
~ベルナティオ元総支配人・佐野智之さんから考える~ 

「足し算の経営」と「引き算の経営」

先日、リゾートホテル「ベルナティオ」の総支配人を11年間務め、組織改革を進めてきた佐野智之さんのお話を聞く機会がありました。

ボトムアップによるVision再構築から人事評価、社員とのコミュニケーション、お客様を関係者として巻き込む意義まで、実際に取り組まれてきた様々な話を聞く中で、特に印象に残ったのが「やり方」と「あり方」の違いについての話でした。
私なりに理解した内容を一言で表すと、「やり方を中心に考える経営は足し算になり、あり方を中心に考える経営は引き算になっていく」ということです。

企業では、何か問題が起きると再発防止のためのルールをつくります。ミスが起きればチェック項目を増やし、不祥事が起きれば承認プロセスを追加する。コンプライアンスへの対応が求められれば、監査や報告も増えていきます。一つひとつを見れば必要性があり、合理的な判断なのだと思います。
しかし、それを繰り返した先には、たくさんのルールやチェック、監査、報告に囲まれた組織が出来上がります。そして、社員が間違えないように会社が「やり方」を細かく決めれば決めるほど、社員自身が「この場合はどうしたらいいのだろう?」と考える必要はなくなっていきます。

一方で「あり方」を中心に考える経営では、本当に大切にしたいものは何なのか、自分たちはどうありたいのか、というエッセンスを磨いていく。細かな「やり方」を足し続けるのではなく、一人ひとりがそこに立ち返って考えられるようにすることで、不要なルールや監視を減らしていく。
この「足し算」と「引き算」の違いが、私にはとても印象的でした。

 

ルールを「マナー」に変える

その考え方を象徴する取り組みの一つが、ベルナティオで進められた「ルール」から「マナー」への転換です。
「これはやってはいけない」「この場合はこうする」と具体的な行動を細かく規定するのではなく、周りの人をより良くするために、自分はどうしたらよいのかを一人ひとりが考える。
また社員研修でも、具体的な礼儀や作法、仕事のスキルといった「やり方」を教えること以上に、「どのような気持ちで仕事と向き合うのか」という「あり方」を先に育てることを大切にしてきたそうです。
ここでいう「やり方」とは、仕事の手順だけではなく、社員がどう行動すべきかを外側から定めるルールや仕組みなども含めたものとして、私は捉えています。

この話を聞きながら、少し不思議なことに気づきました。
企業ではよく、「社員にもっと主体的に考えてほしい」「自律的に動いてほしい」という話をします。私は「主体性」と「自律」は少し違うものだと考えていますが、その違いについては次回改めて考えたいと思います。
いずれにしても、自分で考えて動いてほしいと言いながら、社員が間違えないように、迷わないようにと、会社側がどんどん「正しいやり方」を考えて与えています。

社員に自分で考えてほしいと言いながら、実は会社が社員の代わりに考えすぎているのではないか。

そんな矛盾が、多くの会社で起きているのかもしれません。

 

会社が考えるほど、社員は考えなくなる?

社員が間違えないようにルールを決める。迷わないようにマニュアルをつくる。期待する行動をしてもらえるように評価項目を設定する。もちろん、これらが必要な場面はあります。
しかし、会社が「具体的にどうすればいいか」というやり方まですべて決めてしまえば、社員にとっては、その通りに行動することが最も合理的になります。
つまり、会社が考えることを増やすほど、社員が考える余白が減っていく。

逆に、やり方を少し手放せば、そこには「余白」が生まれます。その余白の中で初めて、「この状況なら何を大切にすべきだろう?」「お客様や仲間にとって、何をすることが一番いいだろう?」「自分ならどうしたいだろう?」と考える必要が生まれます。
そう考えると、やり方を減らすことは単なる業務削減ではありません。社員に「考える」という仕事を返すことなのではないでしょうか。

そして、ここまで考えていて、そもそも「どうすれば社員を動かせるか?」という問い自体にも違和感を持つようになりました。
「社員を動かす」と考えた瞬間、そこには「動かす側=会社・経営」と「動かされる側=社員」という関係が生まれます。しかし、そもそも他人を思い通りに変えることはできません。
だとすれば、「どうすれば社員を動かせるか?」ではなく、「社員自身が、自ら考え、選び、動き出すためには何が必要なのか?」と、問いの主語そのものを変えた方がよいのかもしれません。

 

「自由にやってください」では、人は動けない

もちろん、ここで言いたいのは「ルールをなくせばいい」、「全部社員に任せればいい」ということではありません。法令、安全、品質、情報管理など、会社として決めなければならないことはあります。また、会社が置かれている経営環境や社員の状態によっても、経営が決めるべき領域と社員に委ねられる領域のバランスは違うでしょう。
だからこそ経営には、「何を経営が決め、どこから社員自身に考えてもらうのか」を見極める役割があるのだと思います。

ベルナティオの話で興味深かったのは、単にルールを減らして自由度を高めただけではなかったことです。 例えば、もともとトップダウンでつくられていたVisionを一度手放し、「自分たちはどのような会社にしたいのか」を社員自身が考えながら、Visionをつくり直していった。また評価についても、短期的な業績だけを見るのではなく、Visionの実現に向けてどのような行動や変化があったのかを、より重視する方向へ変えていったそうです。

つまり、社員に「自分で考えてください」と丸投げしたのではありません。自分たちはどこを目指すのか、何を大切にするのかという組織としての「あり方」を一緒につくり、その上で、一人ひとりが「自分はどうありたいのか」を考え、具体的なやり方を選べる余白を残していく。
そして、自分で考えて起こした行動や変化をきちんと見ていく。
「余白」をつくることと、その余白の中で社員が考えられる環境をつくることが、セットになっているように感じました。

 

上司の評価より、お客様からの「ありがとう」

もう一つ印象に残ったのが、お客様の声についての話です。
ベルナティオでは、お客様から届く感謝の手紙やレビューなどを社員が目にできるよう、バックヤードに掲示していたそうです。上司から評価されること以上に、自分の仕事によってお客様が喜んでくれたことを知る方が、社員にとって大きな意味を持つという考えが背景にあったようです。

この話を聞いたとき、私が最近注目していた丸亀製麺の「ハピカン経営」を思い出しました。
丸亀製麺でも、お客様へのアンケートを通じて集めた声を店舗へ返し、店長がバックヤードに掲示するなど、現場のスタッフがお客様の反応を直接感じられる仕組みがつくられています。佐野さんが丸亀製麺を運営するトリドールにも関わられていることを知り、ベルナティオで実践されてきた考え方とのつながりを感じました。

会社から「こうしてください」と言われることと、お客様から「あなたのおかげで楽しかった」「ありがとう」と言われること。同じように社員の行動に影響する情報でも、その意味はかなり違います。
前者は会社が望む行動を社員に求めるものですが、後者は、自分が考えて起こした行動が、誰かにどのような価値を生み出したのかを知る機会になります。その反応を受けて、「またやりたい」「次はもっとこうしてみたい」と自分自身が感じる。
人が自ら動き続けるためには、こうしたフィードバックも大切なのだと思います。

 

「あり方」があるから、「やり方」を減らせる

ここまで考えてみると、「あり方の経営は引き算」という考え方は、単にルールや仕事を減らす話ではないように思います。
細かな「やり方」を減らす一方で、「私たちは何のために存在するのか」「どのような社会や姿を実現したいのか」「そのために何を大切にするのか」というPurpose、Vision、Valuesのような組織としての拠り所は、むしろ磨いていく。
そして、組織としての「あり方」を拠り所に、一人ひとりが「自分自身はどうありたいのか」「この状況で自分はどうしたいのか」を考える余白を残す。

やり方を減らすことができるのは、あり方が明確になっているから。

そして、あり方に立ち返りながら自分で考える経験を重ねることで、一人ひとりのあり方もまた育っていく。

ベルナティオで行われてきた様々な取り組みは、個別の施策として見るとVisionづくり、人事評価、社員研修、お客様の声の共有など多岐にわたっているように見えます。しかし私には、その根底には、「人を動かすのではなく、人が自ら動き出せる環境をつくる」という共通した考え方が流れているように感じました。

 

では、「自分はどうしたい?」はどこから生まれるのか

ただ、ここでもう一つ問いが残ります。
会社が細かなやり方を決めることを減らし、「あなたはどうしたい?」と考える余白をつくれば、それだけで人は自律的に動けるのでしょうか。
おそらく、それだけでは難しいと思います。自分で選ぶためには、「自分は何を大切にしたいのか」という、自分なりの価値観が必要だからです。

ここで、先ほど触れた「主体性」と「自律」の違いにもつながってきます。自分から進んで行動することと、自分なりの価値観を拠り所に、自分で考え、選び、行動することは、似ているようで少し違うのではないか。私は今のところ、後者を「自律」と捉えています。

実は私は最近、「エモい」「共感」「間と場」「またやりたい」といった一見バラバラなテーマを4本のブログで考えてきました。その最後にたどり着いたのが、「自律とは、他者との関係の中で、自分がどうしたいのかを問い、自分なりに選び、自ら動いていけること」という考えでした。

今回、佐野さんのお話を聞きながら、ベルナティオで行われてきた組織づくりと、自分がこれまで考えてきたことが、思いがけずつながったように感じています。

主体的に動くことと、自律的に動くことは何が違うのか。
そして、自分で選ぶための「自分なりの価値観」は、どこから生まれるのか。

次は、この問いからもう少し考えてみたいと思います。