前回のブログでは、『理解』よりも『共感』が人を動かすのではないかということを書きました。
人は理解したから心を動かされるのではなく、共感したから興味を持ち、理解しようとする。
そんな仮説です。
その後も色々な方との対話を続けるなかで、新たな疑問が生まれました。
それは、「人はなぜ動くのか」ではなく、「人はなぜ動き続けられるのか」という問いです。
どんなに素晴らしい理念や目標があっても、人が一歩踏み出すことは簡単ではありません。
そして、一度動き出したとしても、それを続けることはもっと難しい。
一方で、世の中には自ら動き続ける人がいます。
- 挑戦を続ける人
- 学び続ける人
- 誰かのために行動し続ける人
彼らを見ていると、そこには単なる知識や理解だけでは説明できない何かがあるように感じます。
そんなことを考えていた時、PTA活動や仲間との対話を通じて、一つの仮説にたどり着きました。
人は心が動くから、行動に移せる。
そして感動は共有されることで連鎖する。
さらに、その連鎖を生み出しているのが、『間(MA)』と『場(BA)』
なのではないか。
今回はそんな話を書いてみたいと思います。
PTA活動で見えたこと
先日、小学校でPTA主催の扇風機掃除が行われました。
私はPTA役員なので、子どもたちを連れて参加しました。
正直なところ、子どもたちは掃除そのものにはあまり興味がなかったようです。
ただ、「休みの日の学校に入れる」ということには少しワクワクしていたようで、一緒についてきてくれました。
実際に掃除をしてみると、想像以上に扇風機には埃が溜まっていました。
一つひとつ分解しながら綺麗にしていく。
掃除が終わった時には、子どもたちが少しでも快適な環境で過ごせることに貢献できたような気がして、私自身はとても晴れやかな気持ちになりました。
周りの保護者の皆さんも、どこか満足そうな表情をしていたように見えました。
一方、子供たちはどうだったのでしょうか。
その場では、そこまで大きく心を動かされているようには見えませんでした。
ところが後日、学校の日記にその出来事を書き、先生に提出したところ、クラスのみんなの前で紹介してもらったそうです。
そして先生や友達から感謝の言葉をもらいました。
その話を嬉しそうに話してくれた時、私は少し面白いことに気付きました。
娘が本当に嬉しかったのは、掃除そのものではなかったのかもしれません。
- 自分がやったことを誰かに認めてもらえたこと。
- 感謝してもらえたこと。
- 共感してもらえたこと。
それが次の行動への原動力になっているように見えたのです。
大人もきっと同じなのでしょう。
仕事でも、地域活動でも、趣味でも、何かに心を動かされて行動し、その経験を誰かに共有し、共感やフィードバックをもらう。
そして、「やって良かった」、「またやってみよう」と思える。
人は心が動くから、行動に移せる。
そして共感されることで、また動き続けられる。
そんな循環があるように思うのです。
感動は共有されることで連鎖する
ただ、考えてみると感動は自分の中だけで循環しているわけではありません。
むしろ私たちが何かを始めるきっかけの多くは、誰かが共有してくれた感動に触れることなのではないでしょうか。
実は私自身、今年度のPTA役員を引き受ける際に、それを強く感じました。
ちょうど役員交代の時期に、昨年度の役員の皆さんが一年間の活動を振り返った感想が公開されました。
その文章を読んでいるうちに、「PTAって意外と面白そうだな」、「前向きに取り組むと、いい機会になるかもしれないな」、という気持ちが自然と湧いてきました。
昨年度の役員の皆さんが感じたことが、時を超えて私の心を動かし、今年度の行動につながったのです。
また、色々なテーマで意見交換をしている『日本を解き放つ会』でも、同じようなことがありました。
ある日、Iさんが『エモい』という言葉について感じたことをメールで共有してくれました。
その内容に私自身が心を動かされ、前回のブログを書くきっかけになりました。
すると今度は、そのブログを読んだYさんやMさんから新たなフィードバックや視点をいただきました。
その対話を通じて生まれたのが、今回書いているこの記事です。
振り返ってみると、私は一人で考えていたわけではありません。
誰かの想いや変化に触れ、
自分が心を動かされ、
それを共有し、
また別の誰かの心を動かしていく。
感動は共有されることで連鎖する。
そして今回の記事そのものも、その連鎖の中から生まれています。
詩:『間(MA)』と『場(BA)』から感じたこと
そんなことを考えていた時、『日本を解き放つ会』でのやり取りの中で、Mさんから教えていただいた言葉を思い出しました。
それが、『間(MA)』と『場(BA)』です。
Mさんは『マネジメント詩集』の中で、次のように表現されています。
◆間(MA)
物事にはバランスが大事。
何事にもタイミングが重要。
わかっているけど、わからない。
そう、何がわからないのか、わからない。(中略)
間(MA)を意識する。
間(MA)を意識できる。これが、僕たちの強みなんだ。
◆場(BA)そこには何かがある。
そこからは何かが生まれる。(中略)
場(BA)を知覚する。
場(BA)を知覚できる。場(BA)を活かすことが、僕たちのやるべきことだ。
最初に読んだ時は、正直よく分かりませんでした。
しかし今回の出来事を振り返っているうちに、その意味が少しずつ見えてきた気がします。
私たちは何かに感動するために、『間(MA)』を必要としているのではないでしょうか。
- 忙しさに追われ、
- 次から次へと情報を消費し、
- タイパや効率ばかりを求めている時、
私たちは何かを感じる余裕を失ってしまいます。
一方で、
- 誰かの文章をゆっくり読んでいる時、
- ふとした雑談をしている時、
私たちの心は動きます。
何かを感じます。
そして、その感じたことは一人では終わりません。
誰かに伝えたくなる。
共有したくなる。
そのために必要なのが『場(BA)』です。
そして今回気付いたのは、場(BA)は単なる共有の場所ではないということです。
誰かが共有した感動は、別の誰かにとっての『間(MA)』になります。
昨年度のPTA役員の感想は、私にとっての間(MA)でした。
Iさんの『エモい』という言葉も、私にとっての間(MA)でした。
つまり、場(BA)は他者の間(MA)になる。
誰かの心の動きや想いの共有は、別の誰かにとっての心の動きの入り口になるのです。
このことに気付いた時、
- PTA役員の感想も、
- 日本を解き放つ会での対話も、
- SNSも、
- 社内報も、
同じ構造で説明できるような気がしました。
- 誰かが感じたことを共有する。
- それが別の誰かの心を動かす。
- その人がまた何かを感じ、行動し、共有する。
- そして、それがさらに別の誰かへとつながっていく。
娘が先生に褒められて嬉しかったことも、誰かの挑戦に刺激を受けて一歩踏み出すことも、その連鎖の一つなのかもしれません。
私たちは、一人で感動しているようでいて、実は多くの人の感動の中で生きているのかもしれません。
そして、その連鎖が生まれ続けるためには、
- 感じるための『間(MA)』
- 共有するための『場(BA)』
の両方が必要なのだと思います。

感動が生まれる世界を支える人たち
こう考えてみると、学校や会社で行われている様々な取り組みも、少し違って見えてきます。
私の子どもが通う小学校では、『自尊感情教育、強育、協育』という考え方を大切にしています。
自分を大切に思う気持ちを育み、その力を伸ばし、学校・家庭・地域が一緒になって子どもを支えていく。
そんな考え方です。
そのために先生方は、子どもたちの発言や行動に対して、できる限りフィードバックを返そうとしてくれています。
娘の日記をクラスで紹介してくれたことも、その一つなのだと思います。
また、アメリカの教育には『Show and Tell』という取り組みがあります。
- 自分が好きなものや大切にしているものを持ち寄り、
- みんなの前で話し、
- それに対して周りの子どもたちが反応する。
これは単なる発表の練習ではありません。
- 感じたことを言葉にする。
- 他者に共有する。
- 他者の感じ方に触れる。
- そして、自分の存在や考え方が受け入れられる経験を積み重ねる。
そんな『間(MA)』と『場(BA)』の実践なのかもしれません。
私は企業のインターナルコミュニケーション(IC)について考えることがあります。
社内報や社内イベント、座談会やワークショップなども、本質的には同じなのではないでしょうか。
これまでは、
- 会社の方針や経営者の想いを伝えること。
- 社員の活躍を紹介すること。
そうした情報発信が中心でした。
もちろんそれは今でも重要です。
しかし、その先に必要となるのは、
- 社員一人ひとりが何かを感じること。
- 感じたことを共有すること。
- その共有に対して共感やフィードバックが返ってくること。
- そして新たな行動へとつながっていくこと。
なのだと思います。
最近はAIの進化によって、
- 調べること、
- 整理すること、
- 要約すること、
- 言語化すること
が、とても簡単になりました。
私自身も仕事や日常生活の中で、AIの力を借りることが増えています。
だからこそ改めて感じることがあります。
AIは心の動きのきっかけを整理したり、言語化したりすることはできる。
しかし、
- 何に心を動かされるのか。
- 誰かの感動にどう共鳴するのか。
- そして共有してくれた人に、どんな言葉を返したいと思うのか。
そこは人間の領域なのではないかということです。
そう考えると、教師も、親も、経営者やIC担当者も、地域活動の担い手も、実は同じ役割を担っているのかもしれません。
それは、
情報や知識を伝えることではなく、感動が生まれる世界を支えることです。
AI時代だからこそ、この『人と人との間に立つ存在』の役割は、より重要になるのだと思います。
感動が生まれる社会へ
私は以前から、
日本人や日本企業がもっと自律することで、日本全体が幸せを感じられる
ようになるのではないかと考えてきました。
そのためには、
- 立派な理念やビジョンを掲げることも大切です。
- 知識を身につけることも重要です。
しかし、それだけでは人は動きません。
人は心が動くから、行動に移せる。
そして感動は共有されることで連鎖する。
今回、PTA活動や仲間との対話を通じて、そのことを改めて実感しました。
- 昨年度の役員の皆さんが残してくれた感想。
- 娘が先生や友達からもらった言葉。
- Iさんが共有してくれた『エモい』という感覚。
- そこから生まれた対話。
- そして今回の記事。
振り返ると、それぞれは小さな出来事です。
しかし、その小さな感動が誰かの行動につながり、また別の誰かへと受け継がれていく。
そんなことが、私たちの周りでは日々起きています。
もしかすると、
幸せな社会とは、感動が至るところで生まれる社会なのかもしれません。
そして、
その感動を生み出すためには、
感じるための『間(MA)』と、
共有するための『場(BA)』が必要です。
だから私は、
- 教育にも、
- 家庭にも、
- 地域にも、
- 会社にも、
もっと『間』と『場』が必要なのだと思います。
誰かが何かを感じ、
誰かが共有し、
それを聞いた別の誰かが共感し、動き出す。
そんな世界を支えること。
それが、これからの教師や親、地域活動の担い手、そして経営者やIC担当者に求められる役割なのかもしれません。
誰かの感動に反応する。それだけで、自分自身もまた次の感動に出会い、動き続けることができる。
人が動き続けられるのは、一人で頑張り続けているからではなく、感動の連鎖の中に身を置き続けているからなのかもしれません。
だから、今日からその一歩を踏み出してみること。
- 「それいいね」
- 「面白いね」
- 「私もそう感じたよ」
そんな一言が、誰かの次の一歩につながるかもしれません。
そして同時に、
その反応は自分自身が何に心を動かされたのかを知る機会にもなります。
感動は共有されることで連鎖する。
だからこそ、まずは誰かの感動にフィードバックを返すことから始めてみたいと思います。
その一言が、誰かの『間(MA)』になるかもしれないのですから。
