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子供の悩みは『無気力/不安』と『人間関係』!?
先日学校の先生と、意見交換をさせていただいた。
話は多岐にわたったのですが、『不登校』の問題も挙がりました。
不登校の状況を調べてみると、文部科学省の調査が見つかった。
不登校の人数もさることながら、その原因を見て驚いた。
私のイメージでは、『いじめ』や『非行』が主要原因だと思っていたが違った。
『いじめを除く友人関係の問題』が、中学校では17.2%になっている。(小学校は10.2%)
なによりも驚いたのは、『無気力/不安』が、小学校・中学校ともに原因のトップになっていたことだ。
生徒が本音を必ずしも話しているとは限らない。
それでも小学生や中学生が既に『無気力/不安』を感じていることは、日本が抱える大きな問題を浮き彫りにしている。
不登校の原因は幼少期の人間関係
不登校の問題を共有して下さった先生から、不登校の状況についても伺った。
<先生の発言>
中学や高校の生徒たちを見ていると、他人の言動に対して過敏に反応してしまう生徒も多い。
それにより、学校における集団生活を辛く感じる生徒が増えている。
人との関わりができない子供がそのまま大人になることを考えると、将来の日本が心配だ。
文部科学省の調査で『無気力/不安』と回答したなかに、集団生活や人間関係に対する不安も含まれている可能性を考えると、調査結果とも一致する。
また人間関係に問題を抱える生徒の原因に関する先生の考えも、共有して下さった。
<先生の発言>
人との関わりに問題を抱える原因に、幼少期における人と接する機会の減少がある。
少子化とも相まって『子供にしんどい経験をさせたくない』と考える親が増え、大人の過度な保護下でいい子が増えている。
このような子供は、他者との対立など本来経験すべき対人関係を持たずに成長してしまっている。
自律して欲しいという想いは強いものの、子供に失敗やつらい想いはさせたくないという想いも強くなり、無意識のうちに過保護になってしまっている自分にも気づき反省させられた。
過保護は自律の天敵であるが、子育て/教育においても、また会社の社員教育(上司と部下)においても多々見られることである。
ライフスタイル(価値観)は5歳には形成される!?
不登校の状況や原因を考えていると、アドラーのライフスタイルを思い出した。
難解な名著を分かりやすく解説している、『100分de名著』を引用します。
(アドラーの考えに加え、解説者である岸見一郎氏の考えも含まれています)
アドラーは、この世界、人生、自分についての意味づけを「ライフスタイル」と呼びました。
自分のことを自分がどう見ているか(自己概念)、
他者を含む世界の現状についてどう思っているのか(世界像)、
自分および世界についてどんな理想を抱いているのか(自己理念)この三つをひっくるめた信念体系がライフスタイルです。(中略)
アドラーは『人生の意味の心理学』の中で、「五歳の終わりまでに自分のライフスタイルを採用する」といっていますが、私は、ライフスタイルが形成される時期はもう少し遅く、十歳前後だと考えています。
NHK「100分de名著」ブックス アドラー 人生の意味の心理学 岸見一郎
ライフスタイルをイメージで整理すると、以下のようになるでしょうか。
過保護は自分が世界の中心だと誤解させる
ライフスタイル(特に現在の自分と世界をどのように捉えているか)によって、対人関係の捉え方や、他人の言動に対する反応も変わってきます。
その例としてアドラーは、親の過保護が子供に与える影響を説明しています。
甘やかされた子どもは、自分の願いが法律になることを期待するように育てられる。(中略)
NHK「100分de名著」ブックス アドラー 人生の意味の心理学 岸見一郎
その結果、自分が注目の中心でなかったり、他の人が彼(女)の感情に気を配ることを主な目的にしない時には、いつも大いに当惑することになる。
幼いころから大人が過剰に大切に扱うと、子供は『①自分は世界の中心』で、『②他人は自分に何かをしてくれる対象(自分の欲求を満たす手段)』という認識を持つリスクがあるのです。
このようなライフスタイルを形成していると、他人から注目されなかったり、意見の衝突が起きたりした際に困惑し、不安に陥ります。
不登校は様々な要因が複雑に絡み合って起きていますが、私も含め親の子供に対する過剰な愛情が、対人関係を避ける子供を生み出している可能性もあります。
もちろん全ての不登校が問題であるということではありません。
ライフスタイルを見直すために
自己中心的なライフスタイルを見直す方法についても、触れられています。
承認欲求や、世界の中心に自分がいるという意識から脱却するための三つの方法を紹介しましょう。
NHK「100分de名著」ブックス アドラー 人生の意味の心理学 岸見一郎
まず、他者に関心を持つことです。(中略)可能な限り、相手の立場に身を置いて、相手の視点に立たなければ、相手の言動を理解することはできません。(中略)
次に、他者は自分の期待を満たすために生きているのではないことを知ることです。自分も他者の期待を満たすために生きているわけではありません。(中略)
第三に「課題の分離」です。(中略)あることの最終的な結末が誰に降りかかるか、その責任を最終的に誰が引き受けなければならないかを考えれば、そのあることが誰の課題かわかります。
自己中心的になり、他人を自分の欲求を満たす手段と捉えるのはいけない。
(相手も自分と同じ対等な人間であり、同じように自分の人生を生きていることを認識する)
また自分の殻に閉じこもり、対人関係を避けようとすることもいけない。
(自分一人でできることは限られている。煩わしさを感じても、幸せになるためには人との関りは必須)
お互いの課題解決に向け互いを仲間と捉え、協力することを目的とした対人関係を積極的に築くことが大切です。
正しい劣等感を成長の原動力に
アドラーは正しい劣等感が、成長の原動力になるとも言っています。
一般的な劣等感の定義は『自分が他人より劣っているという感情』というように、自分と他者の比較だと思います。
一方でアドラーは、理想の自分と現実の自分を比較することが、正しい劣等感だと考えています。
つまりライフスタイルの①自己概念(現在の自分)と②自己理念(目指す自分像)のギャップが、劣等感ということです。
現状と目標のギャップが課題ですので、正に目指す自分像に向けた課題が劣等感だとも言えます。
そして課題の解決(目指す自分像)に向け、他人との関わり合いを持ちながら成長することが人生の幸福であると言っているのだと思います。
これらの話は子供だけを対象としておらず、大人(社員)にも当てはまると強く感じました。
親と子の関係も、上司と部下の関係も、上下ではなく対等であることを意識する。
その中から、子供や部下は自己のライフスタイルを見直し、幸せに生きるため自律していくのです。
無意識のうちにパターナリズムの傾向が出やすい日本では、特に大人や上司が気を付けることが大切です。