ワールドシリーズを見ていて感じたこと
延長11回、ウィル・スミス選手のホームランで勝ち越し。
ロサンゼルス・ドジャース(LAD)は、トロント・ブルージェイズとの激戦を制し、見事2年連続のワールドシリーズ制覇を果たした。
LADは今、大谷翔平選手との10年契約の2年目。 1年目の優勝に続き、2年連続で王者に輝いたチームの姿には、単なる勢いではない“勝ち切る強さ”があった。 そして、その中心にあるのはやはり大谷翔平という存在だ。
野球素人の私も、盛り上がりにのってワールドシリーズを夢中で観戦してしまった。 そんな素人の勝手な感想だが、試合全体を見れば、野球そのものの完成度ではブルージェイズの方が上に見えた。 ヒットで出塁し、バントで確実に送り、得点圏に進める。 打線の繋がりや守備の堅さなど、チームとしての機能美を感じさせる試合運びだった。
しかし、それでも勝ったのはドジャースだった。 最も象徴的だったのは、9回の攻防。 9回1アウト、1点差。テレビで見ていた私自身は「もう終わりか」と思い始めていた。 だが、LADの選手たちは誰一人としてあきらめていなかった。 ロハス選手は「絶対に追いつく」という思いを一振りに込めてホームランを放ち、チームの士気を更に高めた。
その裏、ヒットとフォアボールでサヨナラ負けのピンチ。 前日先発登板した山本由伸選手がマウンドにあがった。疲労と緊張の中でデッドボールを与え、1アウト満塁の大ピンチを迎える。 それでも冷静に投げ切り、守備陣も「山本を負け投手には絶対にしない」「この試合をものにする」という強い思いで一体となって守り切った。
この9回の攻防や延長戦にこそ、『個の執念』と『チームの共鳴』が凝縮されていた。 数字では測れない『勝ち切る力』の正体が、そこにあった。
強さの本質とは
最後に勝敗を分けたのは、個人の技術や戦略ではなく、
選手一人ひとりの(技術・経験・知識 × 目的への執念)× チーム全体の共鳴
という『強さの方程式』だったのではないか。
LADは確かに技術も経験も豊富な選手が集結したドリームチームだが、そこに大谷翔平という『目的に対する執念の象徴』が加わったことで、チーム全体の想いの強さが変わった。
大谷選手の行動はストイックそのものだ。食事制限、睡眠管理、トレーニング、回復、プレーへの制限など、すべてが『目的からの逆算』で組み立てられている。彼の執念は感情ではなく目的から手段への具体化の繰り返しとして運用されている。その目的にこだわる姿勢に加え、チームへの貢献を最優先にする行動が周囲に波及し、チーム全体の意識を変えたように感じる。LADに加入して2年目になり、チームへの影響も大きくなってきているのではないか。
『執念』は日本人の特徴であり、失われた強さ
私は、この『執念』という言葉に日本人の本来の強さを感じる。
かつての日本には、『義をもって己を律する』、『恥を知る』、『誇りを守る』という価値観があった。それは江戸時代までの武士の奉公心であり、明治の近代化における独立への執念であり、戦後の経済復興における『アメリカに追いつけ追い越せ』の情熱でもあった。
だが戦後教育や価値観の変化の中で、『執念を持つこと』が時に『暑苦しさ』や『非効率』と見なされ、静かに忘れられていった。
日本人の執念の変遷と再定義
ここで、私がまとめた日本人が執念の目的にしてきた対象の変容の図を見てほしい。

この図が示すように、日本人の『執念』は時代ごとにその対象を変えながらも、決して消えてはいない。外発的な忠誠心から内発的な使命感へ。大谷翔平はその転換点を体現しているのではないでしょうか。
彼は『国のため』ではなく、野球という『自分の好きなことのため』に全力を尽くす。だが、その生き方が結果として、チームや国全体を動かしている。つまり、『内なる執念が社会全体に共鳴する新しい日本のあり方』を示しているのだ。
個人も組織も、もう一度目的への執念を高めよう
この構造は、ビジネスや組織にもそのまま通じる。
強い組織とは、スキルの高さや経験の多さだけではなく、『目的に対する執念の共鳴』がある組織である。個人の執念が、他者を動かし、チーム全体のエネルギーを高める。
経営理念やパーパスを“掲げる”ことは誰でもできる。しかし、それを『自分たちの執念として共有できるか』、そして『体現(行動)できるか』どうかが分岐点になる。
技術の総和よりも、執念の共鳴。
戦略の巧みさよりも、目的の深さ。
大谷翔平が示したのは、“Purpose(目的) 、 Passion(情熱) 、 Discipline(規律)”のあり方。 LADの連覇は、単なるスポーツの結果ではなく、「執念が共鳴する組織は、どんな局面でも勝ち切る」という原理を証明してみせた瞬間だった。
執念とは、燃やし続けることではなく、『何のために燃やすかを忘れないこと』だ。 大谷翔平とLADの戦いは、私たちにもう一度、『目的への執念を生きる』という意味を問い直している。 そしてそれは、スポーツだけでなく、企業も社会も、そして我々個人も同じではないだろうか。
あなたが執念を燃やす目的は、何ですか?
