なぜ星野リゾートは真似されても強いのか?
~トレードオフで磨く独自戦略~ 

2025年7月3日、星野リゾート代表・星野佳路氏と、経営学者・楠木建氏による対談イベントに参加しました。テーマは「経営の胆力」時代の挑戦者で、ポイントは『戦略とは何を選び、何を捨てるか』。まさに現代の経営者に問われる本質的な内容でした。 今回は講演内容をもとに、印象に残ったポイントや学びを共有します。

 

経営戦略とは「トレードオフの決断」である

経営戦略とは、両方にメリットがある選択肢(トレードオフ)の中で、どちらか一方をあえて捨てること。つまり経営者の役割は、トレードオフにある『何かをやめる』決断を積み重ねることであり、対談ではこれを『胆力』と表現していました。

トレードオフの例(星野リゾートの経営戦略)

またこれらのトレードオフは単体ではなく互いに補完関係にあるため、組み合わせて統合的に考えることが大切とのことでした。

 

トレードオフの積み重ねが競争優位性を生む

講演では北海道・トマムの雲海テラスが成功した後、多くのホテルに真似されてしまった話をされていました。新しいアイデアから先行者利益を得られるのは5年くらいと捉え、新しいアイデアを真似されても気にしないようにしているそうです。新しいアイデアや改善などは『生産性のフロンティア』にすぎず、競争優位の必要条件ではあっても、十分条件にはなりません。

競争優位性とは、他社に真似されない独自性のことです。それはトレードオフを重ねた結果として現れます。改善やアイデアは上述の通り誰でも真似できてしまう。しかし捨てた選択肢の積み重ねは、すぐには真似できません。

星野リゾートの強みはトレードオフの結果である経営戦略という独自性であり、その独自性から絶えず新しいアイデアや改善が生み出されているのです。

 

意思決定は「複数の視点」で判断する

変化する環境に応じて、意思決定の軸もその優先順位も変わります

ホテル業界はこれまでの供給過多から、需要過多に変化しました。加えて労働力減少により人員不足が生じました。このようななか、星野リゾート(講演では『界』ブランド)では、6つの視点からサービスの見直し(廃止)を実施されました。

  1. 従業員満足(身体的負担)
  2. 従業員満足(心理的負担)
  3. 顧客満足
  4. 集客力
  5. ブランド
  6. 収益力

具体的な事例も紹介されていました。宿泊客の車が見えなくなるまで手を振ってお見送りしていたサービスを廃止し、荷物を車に運びそこでしっかりと挨拶するスタイルに変更。 6つの視点で総合的に検討した際に、特に従業員満足(身体的負担)を優先しつつ、顧客満足も損なわないことを確認して決断されたとのことでした。

 

「妖怪がんじがらめ」を避けるには?

課題への対策が、次の課題を生み出す構造に陥ることが多々あります。これは課題を並列にリストアップして、それぞれの課題に対する担当者がそれぞれの対策/活動に取り組んでしまう多くの企業で発生しています。

課題への対策が新たな課題を生み出す構造のイメージ
(星野氏の講演資料をもとに作成)

それに対して星野社長はこう語ります。

「複雑な構造を可視化し、思い切って『根本にある最初の対策』をやめることが大切」

この状態を『妖怪がんじがらめ』と名づけてイラストまで作り、社員に共有しているのが印象的でした。

『費用や手間をかけ、実際にプラスの効果も生んでいる施策なので、やめるのはもったいない』と言ってしまう経営者が、会社を経営してはいけないのです。

 

「守らなくていいルール」が創造性を生む

施策の見直しは、各拠点からの代表が『一人の社員』として参加できる場を用意することが大切。つまり『代表としての責任』ではなく、『一社員として自由に発言できる場』であることが重要なのです。この考えのもと、「守らなくていいルール」を作る前提で議論することで、本音のアイデアが出やすくなる環境を作り出しているそうです。

また各拠点に無理に守らせると、納得感のないまま行動することになり、主体的に取り組めず良い効果も生まれづらい。上手く行かなかった時に、どうやったら解決するかという姿勢ではなく、自分が想定した通り上手く行かなかったという思考になり、反対意識が強まってしまう結果に陥ってしまいます。

その場での決定をすぐに全体へ強制せず、納得できた拠点だけでトライし、結果を共有することで全体に広げていく。これが星野リゾート流の自律型組織運営なのだと感じました。

 

AIでは生み出せない『差異化』

星野氏は、『経営においてAIは信用していない』と言われていました。もちろん宿泊者がホテルを選択する際にはAIがますます重要になってくるので、AIに選ばれるような工夫は取り組んでいるとのことでした。

つまりAIは平均的な回答を導き出すことが得意なため、トレードオフな経営戦略とは相反します。逆に自分の価値を高めるためには、あえて平均値から自分を遠ざけることが大切であり、そのためには自分の価値観(好き嫌い)がますます重要になってくるという考えにはとても共感しました。

 

講演全体を通して印象に残ったのは、「経営とは捨てる決断をし続ける覚悟である」というメッセージでした。やることを増やすのではなく、やらないことを明確にすること。経営とは足し算ではなく引き算。そしてその積み重ねが、自社の独自性につながっていく。

今、何をやめるべきか?
その問いから戦略は始まります。