BLOG

  • はじめに、
    ”立派な人”コンセプト説明
    more
    世の中、特に日本には有能な人はいっぱいいます。 でも有徳の人、つまり、立派な人は少ない。
    それが日本の近代化の過程で見落とした大きな問題点だったのだと思います。 実は、平成の今でも続いている。

    現代の日本人に自信を持てない人が多いことの原因の一つは、
    日本や日本人の過去について後ろめたい気持ちを持ってしまっているからなのではと考えます。

    学校の歴史教育などではフォーカスを当てられていない人たちのなかにも、立派な人は沢山いられます。
    これらの立派な人を知り日本の歴史やルーツ(伝統)に触れる機会の一助になれればと思い、
    ブログを通して我々が思う立派な人を、紹介させていただきます。


    ※ブログの内容の一部は、これまで別のサイトで掲載していたものを整理し再掲載させていただいております。
     なおブログの日付は、最初に掲載した日付をそのまま記載させていただいております。

  • 2018.04
    西部邁
    more

    西部さんは世間やジャーナリズムと自分のギャップなんて全く平気だったでしょう。西部さんの「信念」に対して「疑念」を抱く相手がいない事で「生きる意味」を感じなくなったのだと思います。奥様が亡くなるまでは奥様が西部さんに疑念をぶつける唯一のパートナーだったに違いないのです。

    西部さんは(自分の)生き方は仮説検証の連続だと言っています。自分の「信念」を他者にぶつけて議論する。他者には「疑念」を持ってもらいたい。そうすれば、自分の信念も検証することができる。全てのベースは奥様との会話で、「信念」と「疑念」のバトルだったのだと思います。奥様との会話を準備段階として他者(ジャーナリズムや知識人や学者)との更なるバトルを望んでいた。でも今の有識者の中で論理的に西部さんに対して疑念をぶつけてくる人がいなくなった。

    結局奥様が公私ともに最高のパートナーだった。だから、西部さんは「奥様と精神構造が一体化している」と言っていたのだと思います。その奥様が亡くなって、もう仮説検証はできない。信念と疑念のバトルもできない。要するに、生きる意味がない。

    会社も同じです。トップの意見(信念)に疑念を抱かない組織はダメです。(信念がないという会社も多いのですが、、、)。トップも社員の意見をオープンかつ柔軟に対応するマインドセットが重要です。これがなかなか難しい。「忖度」と「惻隠」(そくいん)の関係です。部下は上司を忖度する。同時に上司は部下を惻隠の心をもって接する。この場合、忖度は気遣い気配りであり、惻隠は愛情です。

    日本の会社だけでなく、日本全体や昨今の日本人は愛情が減ってきていると感じます。最も「忖度」の意味も何だか怪しくなってきていますが、、、、。


    ***
  • 2018.01
    西郷どん
    more

    今を生きている著名人より、歴史上の人間に愛着を覚えるようになったら年をとったという証拠だそうです。私はそれを「大人になった」と考えることにしましょう。歴史上の人物はどの人も良い処も悪い処も併せ持っていると思います。自分が年を重ねるうちに、どんな人物にも何となく魅力を感じるようになるのは不思議です。大河ドラマは観ませんが、西郷どん、好きですよ。

    私が西郷さんの実績で一番すごいと思うのは、最初に軍隊を整備したことです(兵制改革)。国が大きな改革を実行するための後ろ盾を作ったのです。要するに、習近平が共産党のドーベルマンとして人民解放軍をスタンバイさせていることと同じです。兵制改革を行った上で、廃藩置県に取り組みました。

    明治2年6月(1869年)には、全国各地の諸大名から土地と人民を朝廷に返還させる「版籍奉還」が実施されました。ところが、実際に藩はそのままの形で存続しており、藩主も知藩事と名を変えただけで、領内の運営は全てこれまで通り大名が行っていました。

    明治4年7月9日(1871年)、廃藩置県の手順や方法を巡り、大久保と木戸の間で議論が起こったそうです。その激論を聞いていた西郷が口を開きました。

    「貴殿らの間で廃藩実施についての事務的な手順がついているのなら、その後のことは、おいが引き受けもす。もし、暴動など起これば、おいが全て鎮圧しもす。貴殿らはご心配なくやって下され」。

    こうして明治4年7月14日(1871年)、正式に「廃藩置県」が発布されました。全国各地の諸大名は、突然の大きな改革に驚きました。江戸幕府が開かれて以来、保有していた地位と財産を全て奪い去られたのです。彼らが黙っている訳はない。薩摩藩でさえ。

    しかしながら、西郷が創設した兵隊が睨みを効かせていたため、特に大きな騒動や混乱が起こることもなく、廃藩置県は平和裏に達成されたのです。西郷さんが上司の顔色を窺っているだけのイエスマンだったら、こんなことはできません。

    内村鑑三が『代表的日本人』で最初に取り上げた人物が西郷どんです。「正義のひろく行われること」が西郷の文明の定義だったと書いています。


    ***
  • 2016.02
    正師を得ざれば
    more

    ノーベル賞受賞者の大村智さんがテレビで対談されているのを拝見しました。 魅力的な方ですね。大村さんが本当にすごいのは、化学者としての偉業だけでなく、ビジネスでも成功を収めたことです。北里研究所に新しい生命を与え、ご本人も資産を形成した(恐らく)。ノーベル賞受賞瞬間のインタビューでご自宅の玄関が映りました。素敵なお宅です。特に、門から玄関に続く石畳が素晴らしいと思いました。

    「正師を得ざれば、学ばざるに如かず」(道元禅師) 

    「正しい先生に出会わなければ学ばないほうがましだ」という事です。

    大村さんは、「自己研鑽なしには人を指導・育成する立場にはなれない」と、自らが学び行動する姿勢を崩しません。経営者としては、経営とは人材育成が柱になっているということを確信しておられる。人とのつながりを大切にできる人でもある。人一倍の努力を重ねてきたことは言うまでもないのでしょうが、世界中の研究者との交流が大村さんに想定以上の成果をもたらしてくれました。

    ノーベル賞受賞後の記者会見で大村さんは後藤新平の言葉を紹介されていました。「金を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上と明治期の政治家、後藤新平が言っているように、いい人を多く残すことだ」。

    大村さんとまでは行かなくても、そういった志の先生が1人でも増えてもらいたいものです。


    ***
  • 2015.01
    いま大切なこと
    more
    世界的な数学者であった岡潔さん(1901~1978年)は、東洋と西洋の違い、キリスト教的世界観と東洋的物の観方には違いがあるということを、全ての考えの基礎としています。 例えば、自然や時間に対する考え方です。 それを「情緒」と言っています。

    岡潔の言うところの「情緒」って、「主観的な美意識」と言ってもいいと思います。花を見て色は何色で何科の植物で成分は何々と言うのではなく、「色が鮮やかで綺麗で、自分はこの季節に咲くこの花が好きだ」と言うことです。

    人と人との間には「情」がある。人によって情緒の濃淡はあるだろうけど、情緒は組織の潤滑剤にもなります。 相手の立場を考慮して自分の考えを主張する。年をとるごとに、仕事をするごとに、子育ての経験を積むごとに、自分の背骨を太いしっかりしたものにしていけばいい。連続した試行錯誤だと思います。

    岡潔は偉大な教育者でもありました。日本の戦後民主主義教育に異を唱え続けた。政府にも掛け合ったけど、とうとう当時(1960年代)の日本政府や教育界からバッシングされてしまいました。

    今、これからの時代だったら、もっともっと理解されると思います。だって、上滑りの「口だけ」「今だけ」「金だけ」「自分だけ」の社会がここまで進んでしまったのですからね(日本も世界も)。


    ***
  • 2014.05
    リーダーシップと憲法改正
    more
    リーダーに求められる資質というのは、時代や環境とともに変化し、時代によって異なるタイプのリーダーが出現するものです。

    これは、会田雄次さんがビルマ戦線でイギリス軍捕虜となり、1947年に復員するまでの捕虜体験を基に書かれた『アーロン収容所』(1962年)のテーマでもあります。 勝っている時のリーダー、敗走中のリーダー、捕虜になった時のリーダー、イギリス軍のリーダーと日本軍のリーダーの比較が書かれているのですが、会田さんの実体験だから、非常に説得力があります(『アーロン収容所』は中央公論から文庫本で復刻されています)。

    日本では、一般的に先生に言われたことに忠実で、効率よく多くの科目を勉強して暗記する能力に長けた人が指導者になります。 日本の教育システムや企業の入社試験では、平均して優秀な人を選択することに主眼が置かれています。 独創性があって個性が強い人は、新入社員教育にも不適で、特定の企業カラーに染めるのに手間がかかるので敬遠されます。 大企業が盛んにダイバーシティなんて言っていますが、根本から矛盾があるのです。

    敗戦後30~40年ほどは、日本企業と日本の教育システムは合致していたのです。 それらは、日本を取り巻いていた当時の世界情勢や日本のポジショニングの中でのみ可能だった。 しかし、世界の勢力図はこの20~30年で大きく変わりました。 これまでのやり方で子供たちを教育し、これまで通りのスペックのリーダーを育成しても、先が見え難い今の時代には合っていないのです。 国家や組織全体を崩壊に導く恐れがあります。 いつか来た道じゃないですか?

    憲法記念日、テレビで知識人と言われる人たちが憲法議論をしていました。 リーダーシップ論と重なる部分があると感じました。 『時代は変わる』のです。 憲法は改正じゃなくて、一旦廃棄処分にしなきゃ。


    ***
  • 2014.01
    正々堂々と逃げない人 ~ 東京都知事選挙
    more
    東京のように規模が大きくコスモポリタンの都市になると、住人一人一人の自治精神が乏しくなり荒廃するものです。 これは、多くの大都市が辿る運命のようです。 第七代東京市長(大正9~12年)であった後藤新平は、東京都がまだ東京市であった時に、この事に対する警鐘を鳴らしています。

    関東大震災から東京を蘇らせた後藤新平は、市長時代、「自治は市民一人一人が市長であるべきだ。 自治は市民の中にあってよそにはない」と言っています。 都市、特に東京のような大都市の計画というものは、健全なる自治の精神を離れてはいけない、すなわち、上から下へのガバナンス(行政)と市民パワーのバランスが大事だと言っています。 人は一人では生きられませんから。

    「選挙を棄権するのも国民の権利だ!」なんて胸を張ってはダメですよ。 治安の悪くなった荒んだ大都会で怯えながら暮らす毎日にしないため、危機的状況に陥っても正々堂々と逃げない人を選びましょう。


    ***
  • 2013.09
    立派な人 ~ 八田與一
    more
    大学生たちと台湾に来ています。

    台湾で日本統治時代の昭和5年(1930年)、当時アジア最大級の烏山頭ダムを建設するなどして、不毛の嘉南平野を台湾最大の米作地帯に変えたのが金沢市出身の日本人技師、八田與一です。

    八田さんは、1942年、灌漑調査のためフィリピンに向かう途中、乗っていた大洋丸が米国潜水艦に撃沈され殉職しました。 そして八田さんの外代樹夫人は、終戦後の1945年9月1日、夫が身命を賭けて築いた烏山頭ダムの取水口に投身自殺したのです。

    日本の大学生が一人でも多く八田さんのことを知ればいいと思います。

    今月9月1日、八田記念公園で外代樹夫人の銅像の除幕式が行われ、関係者が八田夫婦をしのびました。


    ***