そのコミュニケーション、目的に合っていますか?
~正しく伝えようとした、その先に~ 

正しく伝えることが、常に正解か?

情報を漏れなく、正確に伝えることは、コミュニケーションにおいて本当に価値のあることなのか。
今回の出来事を通して、私はそんな問いを持つようになった。

私は性格的に几帳面で、物事は正確に進めないとストレスを感じるタイプだ。
加えて、コンサルタントという職業柄、関連する情報をいかに正確に、
いかに漏れなく相手に伝えるか、という点にどうしても意識が向いてしまう。

相手の目的が、単に情報を収集することにあるのであれば、正確性や網羅性には確かに意味がある。
ただその場合、Googleで調べてもらったり、生成AIを使ってもらった方が、正確で、早いことも多い。

では、人と人とが向き合う『対話』とは、何なのだろうか。

 

人物紹介で終わらせたくなかった

今回、社内の変革活動をサポートしている企業の社内報で、
私を紹介してもらえるということで、インタビューを受ける機会があった。

私のその会社に対する想いや、なぜ情熱を持って支援しているのかということを、
誤解なく、できるだけ正確に、読者に伝えたいと考えていた。
その方が、より深いレベルでの協力や共創につながると、素直に思っていた。

そのため、インタビューで何を話すのかを書き出し、自分の考えを整理し始めていた。

今振り返ると、私はこの時点で、インタビューを『自分の情報を正しく伝える場』として捉えていたのだと思う。

 

「原稿を渡したらダメ」という警告

その準備の過程で、ChatGPTとの対話のなかで、ある指摘を受けた。

インタビューで話す内容を原稿としてそのままインタビュワーに渡すと、
記事は人物紹介に留まってしまう可能性が高い。

なぜなら、その場は『説明』と『確認』のやり取りになりやすく、対話が生まれにくいからだ。

一方で、インタビュワーとの柔軟なやり取りが生まれる場をつくることで、
インタビューそのものが対話になり、記事からも対話感が醸し出される。

『何を話すか』よりも、『どんな場をつくるか』。

その違いが、記事の性格を大きく左右する、という指摘だった。

 

AIが示すのは、正解ではなく構造化による気づき

この指摘に対して、私は少なからず驚いた。

というのも、私はこれまでコンサルタントとして、インタビューをする側、
対話を通して聞き出す側に立つことがほとんどだったからだ。

相手の考えを引き出し、場を設計する立場にいるときには、自然と意識していることを、
自分が語る側に回った瞬間、すっかり手放してしまっていた。

ChatGPTは、新しい正解を教えてくれたわけではない。

ただ、自分自身が無意識に選んでしまっていた『場の目的』や『場のつくり方』が、
今回の文脈において適切なのかどうかを、構造的に確認してくれただけだった。

 

何かを把握する場なのか、何かを生み出す場なのか

改めて整理してみると、インタビューや対話には、大きく二つの目的があるように思う。

一つは、現状を把握するためのインタビューだ。

この場合、限られた時間の中で、いかに正確に、いかに網羅的に聞き出すかが、
インタビューの成功要因になる。

もう一つは、新しい解決策や方向性、ビジョンといった『正解のないもの、決まっていないもの』を
生み出していくための場だ。

この場合には、インタビュワーとインタビュイーが、対話を通して一緒に考えるという構造そのものが、何より重要になる。

 

場の目的を取り違えないために

正確に伝えること。
漏れなく聞き出すこと。

それ自体は、決して悪いことではない。

ただ、その場で何を生み出したいのかという目的を取り違えてしまうと、
本来は共創の場であるはずの対話が、
いつの間にか『説明』と『確認』だけの固定された関係性になってしまう。

今回、ChatGPTとの対話を通して私が気づかされたのは、
AIが答えを出したということではなく、自分自身が無意識に選んでいた『場の目的』を、
一度立ち止まって見直す視点だった。

この場は、
 答えを集めるための場にしたいのか?

それとも、
 答えを一緒につくるための場にしたいのか?