夏休み自由研究@スリランカ②
~過去を伝える文化遺産、心に残すバワ建築~

前回のブログでは、スリランカの独立記念広場を訪れ、この国がどのように『歴史や文化』を物語として紡いできたかを考えました。今回はその続きとして、スリランカに数多く残る文化や遺跡、そしてそれらと響き合うように建てられたジェフリー・バワのホテルについて書きたいと思います。

 

スリランカの文化遺産に触れる

スリランカを旅して強く印象に残るのは、2000年以上続く文化の足跡です。紹介したい場所がたくさんあるのですが、今回は歴史や仏教に関係する場所を少しだけ紹介します。

 

①シーギリヤ・ロック

大地から突き出た高さ200メートルの巨岩。これがスリランカで一番有名な観光地でもある『シーギリヤ・ロック』です。5世紀、カッサパ王が築いた王宮跡であり、『空中宮殿』とも呼ばれます。カッサパ王は王位を得るために父を殺し、やがて腹違いの弟に攻められることを恐れて、この地を新たな都としました。容易に攻め込めないよう、巨岩の頂に宮殿を築かせたのです。

地上200メートルもある、巨大な岩。この頂きに、都が築かれた。

また岩肌には天女のフレスコ画(シーギリヤ レディ)が描かれ、途中には鏡のように磨かれたミラーウォールが残されています。それらは王が夢見た栄華を今に伝えると同時に、野心に突き動かされた人間が最後に迎える怖れを物語っているようにも感じました。頂上から広がる360度のジャングルの眺望は、王が望んだ『支配と孤高』を追体験させるかのようでした。

頂上から眺める風景。この景色を見るためだけでも、登る価値あり。

 

②ダンブッラ石窟寺院

巨大な岩山の内部に広がる、光と影に包まれた静謐な空間。これがダンブッラ石窟寺院の印象です。内部には150体を超える仏像が並び、天井から壁までびっしりと仏教壁画で覆われています。その始まりは紀元前1世紀、王が隠れ住んだ洞窟を寺院に改めたのが起源とされています。以来2000年もの時を超え、人々の祈りがこの場所を生き続けさせてきました。洞窟に一歩入ると、ひんやりとした空気の中に、歴史と信仰の厚みを肌で感じることができます。

 

③キャンディ仏歯寺

長い間スリランカの都が置かれていた、旧都キャンディ。その静かな湖のほとりに建つ白亜の仏教寺院が仏歯寺です。内部には、仏陀の犬歯が納められた聖なる厨子(ずし)が置かれ、日々多くの人々が祈りに訪れています。祈りのために何時間もお寺の中で待つ、熱心なスリランカ人で混雑していました。

真っ白な制服を着たスリランカの小学生たちも遠足で訪れていました

また仏陀の歯を保持することは、かつて『正統な統治者の証』とされ、歴代の王がこの聖地を守り続けてきました。つまり仏歯寺は、宗教的な信仰の中心であると同時に、政治的な権威を象徴する場でもあったのです。現在もこの信仰は生き続けており、毎年行われる『エサラ・ペラヘラ祭』では、絢爛豪華な象の行列と舞踊によって仏歯への信仰が街全体を包み込みます。キャンディの街全体が『生きた世界遺産』であることを実感させられます。

同じ敷地内に王や大臣が重大事項決定のために使用した広場もある
(前回のブログで紹介した独立記念広場は、この建物をイメージして設計されている)

 

こうした遺跡や寺院は、スリランカの人々が受け継いできた『過去の物語』を伝える役割を担っています。

 

バワの生い立ちと独自性

私と妻のスリランカ旅行の目的の一つが、スリランカを代表する建築家 ジェフリー・バワ(1919-2003)の建築に触れることです。バワの名前を知らない人も、アジアを中心に高級リゾートを展開しているアマンリゾートが参考にしている建築家と言えば、凄さが伝わるかもしれません。

まず初めに、バワの背景について少し紹介します。彼はアラブ系の弁護士である父と、フランス系イギリス人の母を持つ家庭に生まれました。母の家系にはオランダ系のバーガー人(16〜20世紀の植民地時代にスリランカへ移住したヨーロッパ系男性入植者と現地女性との子孫)や、スコットランドとシンハラの混血のルーツがあり、多文化が入り混じった血筋の中で育ちました。もともとはイギリスで弁護士として活動していましたが、『理想の環境を自分で作りたい』という想いから38歳で建築の道に転身。遅咲きの建築家としてスタートを切ります。

ホテルに飾られていた、ジェフリー・バワ氏の肖像画

多文化的な家庭環境と遅い転身は、彼を既存の枠に縛られない建築家にしました。環境を敏感に読み取り、異なる文化や歴史を一つの空間に統合する。その感性こそが、彼の独自性の源泉でした。

 

バワ建築との出会い

実際に訪れた彼のホテルは、それぞれが土地の物語を体験させてくれるものでした。

 

①ヘリタンス・カンダラマ(ダンブッラ)

ジャングルの中にある土の道路を進むと突如現れるのが、ヘリタンス・カンダラマです。ホテルは岩山に溶け込むように設計され、建物そのものが自然と一体化しています。

岩の上に立つホテル。建物は植物でおおわれ、景観への影響を抑えている。

エントランスに向かう廊下は、シーギリヤ・ロックの『ミラーウォール』を思わせる造りで、遺跡で感じた歴史の記憶をホテルの中で再び呼び覚ましてくれるようでした。

左はシーギリヤ・ロックのミラーウォール。
右はミラーウォールをイメージしたホテルの廊下。(写真はホテルHPより引用)

窓からは遠くシーギリヤの巨岩を望むことができ、まるで『1000年以上続く物語に包まれながら眠る』ような体験ができました。

バワがお気に入りだった場所。湖の奥には、シーギリヤ・ロックが見える。

 

②ジェットウィング・ライトハウス(ゴール)

スリランカ南部の港町ゴールは、16世紀以降ポルトガルやオランダの支配下に置かれ、海を望む堅牢な要塞都市として発展しました。現在も世界遺産に登録されている城壁や砦が残り、植民地時代の歴史を色濃く伝えています。そのゴールに建つジェットウィング・ライトハウスは、外観からして要塞を思わせる重厚な造りをしています。

ゴールの要塞をイメージさせる重厚な門構え

建物に入ってすぐの螺旋階段には、ポルトガル軍の侵攻と、それに立ち向かうシンハラ軍の姿を表現した彫刻が三階まで続き、土地の歴史を物語っています。

バワがたびたび起用した芸術家ラキー・セナナヤケの彫刻

階段を二階まで上りロビーに出ると、一気に視界が開け、目の前には果てしなく広がるインド洋。重厚な歴史を背にしながら、海の開放感に包まれる体験は、このホテルならではのものだと感じました。

オープンなロビーから望むインド洋

 

③シナモン・ベントタ・ビーチ(ベントタ)

スリランカ南西海岸のベントタは、政府が『国を代表するビーチリゾート』として1960年代に開発を進めた都市です。バワもホテルや駅など、多くのプロジェクトに関わりました。その中核となるホテルのひとつが、シナモン・ベントタ・ビーチです。エントランスでは民族楽器の演奏が響き、訪れる人を温かく迎え入れます。階段を上がった先のロビーに広がるのは、スリランカの生き物を描いたカラフルな天井画。海辺のリゾートらしく、明るくポップな色彩が空間を満たしていました。

ホテルの入り口から階段を上がると、天井一面に広がるカラフルな天井画。
その先のロビーもポップなテキスタイルの天井で、リゾート感が演出されていた。

ベントタ川と海に挟まれた半島に位置するので、西側にはプールとプライベートビーチが、東側には河口が広がりマリンスポーツを楽しむ宿泊客でにぎわっていました。

色々な国からの宿泊客が、プールとビーチを満喫

またホテルには多くの美術品が飾られており、また絵画教室も開催されていました。自然と文化が一体となった、リゾート体験を味わうことができます。絵が好きな娘もプロの指導のもと、素敵な絵を描くことができました。

祖父の代から画家をやっている先生の指導を受ける娘

 

過去を受け継ぎ、未来に残すために

遺跡やお寺などの文化財は『過去を現在に伝えるもの』。一方バワのホテルは『地域の歴史や文化、自然を現代の体験に翻訳し、人の記憶に残すもの』と言えるでしょう。観光地を巡った後、ホテルでくつろぎながらも、その土地の文化や歴史に浸れる。この体験を通して、私は『文化や歴史をどう未来に生かすか』という問いを考えさせられました。

そして、このような『土地の物語を宿泊体験として残す』試みは、実は日本でも広がり始めています。森トラストが長崎や奈良、軽井沢などの歴史的建物を活かして、ホテルとして再生する取り組みを進めています。こうした動きは最近『カンブリア宮殿』でも紹介されました。バワの建築と同じく、単なる宿泊ではなく、その土地ならではの歴史や文化に触れることができる体験型のホテルです。

スリランカの旅で得た気づきは、日本にも当てはまるのではないでしょうか。日本各地でこうした施設が増えれば、訪日外国人にとっては日本文化を深く知る機会となり、都市に暮らす日本人にとっても国や地域の『物語』を再発見するきっかけになるはずです。

 

他国を旅することで、改めて自国について考える機会になります。スリランカは飛行機で9時間かかり少し遠いですが、自然と文化、学びとリゾートのバランスが程よく、お勧めの旅先です。紹介できませんでしたが、サファリで野生のゾウやワニに出会ったり、海ではイルカやクジラ、ウミガメを見ることもでき、子供を連れたファミリー旅行にも最適です。
興味のある方には、自称スリランカ観光大使として、写真や動画を交えて詳しく紹介させていただきます。