うどんを食べて日本や日本語を考える 
~母国語の大切さ~

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讃岐うどん

ibgの同僚から讃岐のうどんを帰郷土産にもらったので、早速「ざるうどん」にして食べました。40数年前、社会人になって四国で暮らし、それまで食べなかった「うどん」の旨さに人生初めて遭遇したわけですが、最近では本物の讃岐うどんはなかなか手に入らなくなりました。
ざるうどんの最も単純な定義は、水を切ったうどんを盛り付けつゆにつけて食べる「つけ麺スタイル」のうどんのことを言います。茹でたうどんを一度流水で締めるのですが、ここが肝心。麺をざるにあげて流水で熱をとって、表面のぬめりをしっかりととります。水が濁らなくなるまで洗い落とすのが目安です。最低3回は水を変えて洗います。その後、水を切って盛り付けます。ぶっかけや釜揚げうどんよりも、つけ麺スタイルのざるうどんが好きですね。うどん自体の差が歴然となります。
讃岐うどんの始まりは弘法大師空海によるものとされています。讃岐うどんの起源は空海が唐に渡ったことがきっかけだそうです。うどん文化の背景には平安時代からの文脈があるのです。

日本人は日本語で思考する

今の日本が価値体系を持たない国になった原因は複合的なものでしょうが、一つには日本語の問題があると思います。つまり、「母国語によって人の脳は規定される」ということを疎かにしているということです。人は母国語で思考するのです。

日本の教育には対話のための訓練がない

日本の教育システムは、問題や出来事や感情を的確に他者に伝える訓練に重点が置かれていない。特にテーマが決められていない雑談や対話そのものが不得意です。日本語の背景には日本や日本文化がある。アメリカ人の英語(米語)にはアメリカ文化があり、それらは人種や地域や時代によって異なる。「グローバル人材には英語!」などと単純なものではないのです。まずは母国語である日本語による対話訓練を義務教育で実施すべきです。日本語が日本の赤ん坊を日本人にするし、英語(米語)がアメリカの赤ん坊をアメリカ人にするのです。言葉によってその国の文化が成り立っています。日本語が軽視されればされるほど、日本人や日本文化のレベルは下がるのです。

マネジメントに必要な対話力

私自身は、社会人になってからアメリカ人やその他の外国人と仕事をすることになって、自分の対話能力の無さを嫌と言うほど思い知らされました。そしてそれは、経験を重ね組織内で職位が上がれば上がるほど痛感したのです。アイデアを拾い上げて価値に転換するには対話が不可欠なのです。