不自然な都会を抜け出そう
~隈研吾氏×養老孟司氏の対談①~

目次

最近の趣味はリアル×バーチャルの建築巡り (デジタル化)

東京オリンピックの舞台になった新国立競技場を設計された隈研吾さんが、最近気になっています。ホームページで過去の作品を見ていると、時間を忘れ楽しんでしまいます。また隈研吾さんは自らの考えを色々な書籍で発信されているので、考えを理解しながら作品を見るとその奥深さに引き込まれます。東京周辺にも隈さんの作品がたくさんあるので、書籍とウェブで予習してから少しずつ訪れています。

隈さんの本を読んでいると、巻末の新書紹介欄に『日本人はどう住まうべきか?養老孟子、隈研吾』という興味深い対談書籍が目に留まりました。その他に『日本人はどう死ぬべきか』というお二人の対談も見つけたので、両方購入して読んでみました。

 

10代の学びが、思想の根幹を形成する (学び)

書籍を読んでいると、隈さんと養老さんは栄光学園という中学・高校(男子校)、東京大学の先輩後輩ということを知りました。栄光学園はカトリックの修道会であるイエズス会を運営母体とする学校で、個性的な神父の先生方の影響を受けたお二人の共通点もたくさん見えてきました。特にイエズス会の理念である『現場主義』は、お二人に共通する思想の根幹になっています。

僕らの思想形成において、このイエズス会が果たした役割はきわめて大きかった。(中略)イエズス会の理念は、一言でいえば現場主義に尽きる。(中略)現場主義はまず肉体を重要視する。強靭な肉体を持っていなければ、現場という過酷な場所を生き抜くことは絶対にできないからである。(中略)養老先生の思想の根幹もまた、肉体主義である。肉体をおろそかにしていると、脳ばかりが肥大して、ろくなことを考えなくなるというのが、養老哲学の中心思想である。

日本人はどう住まうべきか? 養老孟子、隈研吾

現場主義のお二人が日本の特徴を述べながら、我々日本人は複雑な問題を抱える現代社会をどのように生きていくべきかを独自の視点から対話する本書は、発見と共感の連続でした。沢山紹介したいことがあるのですが、今回は都会に潜む罠と抜け出す方法を紹介します。

 

都会は秩序と整理の世界で、不自然な空間 (人間と自然)

皆さんは都会が好きですか?職場が都会の一等地にある人もいるでしょう。また交通の便が良いので、都会のタワーマンションに住んでいる人もいるでしょう。私も都会に住んでいた時は、通勤にも生活にも便利で助かりました。また一等地の超高層ビルで仕事をしていると、自分が偉くなったように錯覚した時もありました。ただ最近は、クライアントとの会議のために都会の高層ビルで一日過ごすだけでも、すごく疲れを感じるようになりました。

隈:人工的な都市という箱の中にいることは、人間の心身に対して大きなストレスになるんですよね。昔の都市は、水平に広がっていました。それが今では、垂直的に広がり、超高層のオフィスビルやタワーマンションが乱立している。そしてそういう高いところにいる人が「実力社会」で勝ち上がった「エリート」とされ、ヒエラルキーが目に見える形で示されるようになってきている。(中略)そんな箱が都市にあると、人間はなかなか箱から抜け出すことができません。そして、そこで暮らす人間は、箱に押し込められることに、ある種の幸せを感じ続けてしまう。

日本人はどう死ぬべきか? 養老孟司、隈研吾

コロナ禍を経てオフィス需要が下がっていると言われていましたが、それでも都心部では雨後の筍のように超高層ビルがたくさん建築中です。エリートでない私は、エリートが作ったヒエラルキーの中にいると居心地が悪くなるのかもしれません。また人が快適に過ごすために整備された都会では五感を刺激する自然なものが排除されているので、感覚を働かせる機会が限定されていることも、居心地の悪さを助長しているのかもしれません。

 

住宅ローンは資本家が労働力を確保する罠!? (文化と文明)

また隈さんは誰もが家を持つことができるようになったことが、逆に人を仕事に縛り付けて苦しませていると、工業化社会やそれを可能にした住宅ローン制度の危うさを主張されています。

20世紀のアメリカで、誰でも郊外に「家」が建てられるようになり、「家」から都会にある会社に通うために、同じくピカピカの車が必要になり、ピカピカの家を飾り立てるために、ピカピカの電化製品が必要となったのである。(中略)「家」というニンジンをぶらさげられて、20世紀の人びとは必死に働きはじめ、ひたすら消費するようになった。さらに、都会には、その必死に働く人達のために超高層ビルというニンジンが次々と建てられていった。(中略)そして「家」を建てるために、「家」を手に入れるために、人々はかつてないほどに、必死で働くようになった。ローンを払い終わるまでは、さぼることも、考えたり迷ったりすることも許されなかったのである。(中略)これが、工業化社会、実のところ建築化社会の正体だったのである。

ひとの住処 隈研吾

私も住宅ローンによって超低金利でマイホームを手に入れることができた、住宅ローン受益者の一人だと思っていました。ただ隈さんの見解に触れ、資本家が求める労働力として都会に縛り付けられるリスクがあることに気づかされました。ローンを組んでしまってから気付いても後の祭りなのですが、そこから抜け出すヒントを養老さんが投げかけてくれました。

 

都会のストレスから抜け出すための『参勤交代』

養老さんが隈さんとの対話の中で挙げられたのが、一年のうちの一部の時間を田舎で暮らす二拠点生活を参勤交代と呼んで推奨されていました。

養老:都市にいるということは、秩序と整理の中にいることだから、そこから外れる時間を作ることが必要ですよ。だから、サラリーマンがみんなサバティカル(長期休暇)を持てばいいんです。(中略)年に数か月は別な暮らしをするべき。だってそうしないと人は変わりませんよ。人を変えて、考えを変えてもらわないと、社会だって変わりません。(中略)都市労働のように同じことをしているから頭が固くなっちゃって、考えが硬直しちゃう。(中略)一つの視点に慣れちゃって、別の解決方法が見えなくなるんですね。だから「参勤交代」なんですよ。

日本人はどう住まうべきか? 養老孟子、隈研吾

クライアントが新しいビジョンやパーパス、事業を考える時には、都会のオフィスではなく田舎の保養地での合宿を提案することも多いのですが、田舎が硬くなった思考を柔らかくするという感覚はとても共感します。

 

都会と田舎を繋ぐのは人の流れと想い (個と公共、対話)

またこれからの都市のあり方についても語り、都会と田舎のバランスをとるためにも、人の移動や繋がりが大切であると主張されています。

養老:都市に人口が集中した方がコストの面ではメリットがあるけれど、そうすればいいとは簡単には言い切れないですよね。インフラだけに限っていえば、集中すればコストは安くなりますが、都市のあり方としてそれが本当に望ましいのか。だから最終的には、人の生きる世界が二極分化してく可能性があるなと思っています。田舎で自給自足し、地産地消型で生きていく世界と、都市でできるだけ物流を効率化して生きていく世界の二つです。(中略)
都市が田舎を支配したり、田舎が都会を支配したりする格好になると、具合が悪いことが必ず起こります。だから僕は、両方を行ったり来たりして暮らす「参勤交代」を今から勧めているんですよ。都会と田舎の二つの世界をバランスさせることが、おそらく一番効率がいい。

日本人はどう住まうべきか? 養老孟子、隈研吾

都会と田舎をバランスさせるために、両方を行ったり来たりして暮らす参勤交代という話を聞いて、数年前に少し関わらせていただいた総務省の『関係人口』という活動を思い出しました。

総務省 関係人口ポータルサイトより

総務省 関係人口ポータルサイトより

 

時間的にも経済的にも余裕がないと難しいと言われてしまいそうですが、私も人間らしさを取り戻しながら将来の日本社会に少しでも貢献できるように、私なりの参勤交代を模索していきたいと思います。また現実主義のお二人とは少しずれてしまうかもしれませんが、迷子になる地図の6つの視点で色々と思考を巡らせることも、都会の影響で硬くなった思考を柔らかくする一助になると思います。現代版参勤交代や迷子になる地図に興味を持たれた方は、是非お声がけ下さい。